赤字でいいじゃない、趣味なんだもの
今年1月に上演した舞台『アラサー魔法少女の社畜生活』では、Noveljamでご縁ができた藤沢チヒロさんにチラシのイラストを依頼しましたが、今度はLINEノベルに投稿する小説の表紙を描いていただきました。
この『異世界に行ったら負けだと思ってる』(通称いせまけ)は誰かの依頼を受けたわけでなく趣味で書いたものです。
つまりこの作品の執筆活動を通じての収入は0円です。
変な話、チヒロさんにデザイン料を支払った分赤字なのですが、「とても正しいお金の使い方をした」という手応えを感じています。
自分が書きたくて書いた小説に自分の好きなイラストレーターさんの絵をつけてもらうというのは、よくよく吟味して決めた部屋に憧れのメーカーの家具を置くのと似ているかもしれません。
劇団をやっていた頃は「いかに支出を抑えるか」というスタンスでした。
チケット収入で食えるわけがないということは重々承知していたので目指すところはせいぜい微黒字〜トントンぐらいでしたが、その程度の目標でも達成するのはなかなか大変でした。
劇団を旗揚げしてすぐの右も左もわからなかった頃は、スタッフの人件費に驚き、何なら「おれや役者たちが無収入でやっているのに何故だ」と憤り、頼み込んで安く引き受けてもらっていました。
スタッフワークの大切さを学んでからは正規の料金を支払うようになりましたが、その裏で若い役者にはチケットノルマを課していました。
つまり、自分の趣味でやっているくせに自分の懐は痛まないように立ち回っていたのです。
劇団を解散した後――単に生活に余裕ができたからかもしれませんが――「自分が好きでやることならどんどん金を払おう」というスタンスになりました。
よく、
- 他の芸術の分野では何年も修行してやっと日の目を見る機会が得られるのに、小劇場では素人が当たり前のように発表会をやっている。
- だから小劇場の演劇はクオリティーが低い。
という言説を目にします。
僕もそういう考え方をしているのですが、最近は「修行期間」だけでなく「予算」についても、小劇場はずいぶんあぐらをかいているのではないかと感じています。
音楽家は高価な楽器を買い、高い授業料を支払います。
音楽家として収入を得られるようになるまでに相当な支出があるはずです。
画家も画材を買い揃え、授業料や画廊のレンタル代を支払い、無名のうちは収入がありません。
ほとんどのアーティスト志望者は身銭を切りながら研鑽を積んでいるわけです。
そんな中、演劇の公演は基本的にトントン以上を目指します。
ちょっと変ではないでしょうか?
公演を打つのにはもちろん大変なお金がかかりますが、だから何だと言うのでしょうか。
4000円のチケットが500枚売れればトントンという予算組みがあったとします。
見込み動員が500人だから支出200万を500で割って4000という数字が出てきているわけですが、この計算、本当に正しいでしょうか?
自分たちの価値がまだ3500円ぐらいなら、-500×500の25万は主催者が負担すべきではないでしょうか?
最初から赤字の予算を組むのは興行としてはおかしいかもしれませんが、商品でなくて作品なのに、品質でなく支出から価格が決定していることのほうがおかしいと思うのです。
借金はしないというポリシーで劇団活動をしていたことを話すと「賢い」と褒められますが、どこかズレていたような気がしてなりません。
……なんて、もし本当に借金を抱えていたら、そんなこと微塵も思わなかったかもしれませんが……
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