それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

アイドルが舞台に立つということ

 

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このツイートが流れてきたちょうど今、僕はアイドルの舞台で演出をやっています。

(みんながみんなアイドルというわけではないようです。
おいらにゃ「アイドル」の定義はよくわかりません)


僕が出会ったアイドルの人たち

商業(なのかな?)の現場は初めてで、自分の劇団やセルフプロデュース公演との勝手の違いに戸惑うこともありましたが、少なくとも僕が今回関わった出演者の皆さんは舞台に対して真摯な人たちばかりでした。

 

そもそも、最初から「真摯な人たちである」という前提で関わり始めました。

もしそうでなかったらそうでなかったなりの対応をするだけです。

 

本業がアイドルやモデルでも演技が上手い人はいるし、日の当たらない小劇場に根気よく立ち続けている役者でも態度の悪い人やセンスのない人はいます。

もちろん大雑把に言えば経験の豊富な人ほど上手いものですが、「経験」とは舞台経験に限らないのです。

若くてもすでに濃い人生を送っていて、それを板に乗せる感覚が優れている人は、何年も小劇場で頑張っている人をあっという間に追い越していきます。

 

カテゴライズする意味

人による、というのが結論です。

ただし、

「アイドルだから◯◯だと決めつける言い方はすべて極論である」

という論調にも同調しません。

あくまで傾向やイメージの話であるという点を踏まえた上でなら、カテゴリーで語ることも無意味ではないと考えます。

 

僕は先日出した本(『劇団解散したけど質問ある?』)の中で、

「小劇場で食べていくのは無理」

「勉強のつもりで観劇するなら最低でも5000円以上の舞台に行くべき。知り合いの小劇場は無意味」

と決めつけましたが、おおむね間違っていないと今でも思っています。

もちろん例外はあるでしょうが、「例外があるから決めつけはオールNG」とすると、議論が硬直します。

しばしば外れようとも、天気予報を廃止すべきだと言う人はいないでしょう。

 

小劇場俳優の傾向

というわけで、あえて「小劇場俳優」とカテゴライズしますが、彼ら彼女らは舞台の現場を「発表の場」のみならず「修行の場」と捉えているフシがあります。

公演本番がどんなに好評でも、自分自身が成長できた、経験値が入ったという実感がないと不満が残るのです。

 

そして、成長できるかどうかは、演出家と共演者にかかっています。

この共演者の比重は相当大きいです。

変な話、演出家がまるきり素人でも、Sクラスばかりの役者集団にCクラスが放り込まれたらそのCさんは劇的に成長するはずです。

 

問題は、そういう状況だとSさんに経験値が入らないことです。

 

小劇場俳優がアイドルと一緒にされるのを嫌がるのは、(アイドルは舞台を甘く見ており、演技力が低いと決めつけた上で)貴重な成長の機会を無駄にしてしまうという危惧もあるのだろうと想像します。

 

観客はどうなのか

ここで指摘されているのも「傾向」です。

実際、そういう傾向はあるのかもしれません。

 

しかし、僕が今演出している舞台の様子を見たり、Twitterエゴサしたりした範囲では、芝居を観に来ている観客のほうが多いように感じます。

昔から、

「観客は結構わかってくれる」

「人間ってわりと頭いい」

という考え方でやってきましたし、今後もそうするつもりです。

 

 

 

舞台『13月の女の子』のみんなは真面目によく頑張っています。

僕の本道は小説ですが、今後もご縁があれば舞台の脚本・演出は続けていきたいと思っています。