それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

張り手は禁じ手にしたほうがいい

横綱が張り手するなんてけしからん」

「けしからんなら禁じ手にすりゃいいじゃん」

という堂々巡りが続いています。


ここで、一人のにわか格闘技ファンとして「張り手という技にはどんな意味があるのか?」考えてみました。

※全部私見です。

 

 

 

「張り手」の定義

ます、wikiで「張り手」を引いてみると、以下のように書かれています。

突っ張りが平手で相手を突いて押すための技であるのに対し、張り手は平手を横に振って相手の顔や首の側面を叩く技である。いわゆるビンタのような「手首のスナップを利用し、表面的なダメージを狙う」というものではなく、実際には掌の付け根部分ごと相手にぶつける掌底打ちに近い性質を併せ持っている。


出合い頭に一発当たるだけで相手を倒してしまう威力を持つものもあり、この場合の決まり手は突き倒しと発表されることが多い。興奮して互いに冷静さを欠いた状態になった場合、張り手の応酬となる場合もある。ただし突きや突っ張りが相手の体の芯へ向けられ相手を押す役割を担うのに対して、張り手はそのような意味を持たない。そのために顔への張り手を透かされると、体勢が浮くうえに脇が開いてしまい相手に潜り込まれる場合があり、一気に不利になる。

 

相手を「押す」効果はなく、脇が空くリスクもあるといいます。

張り手でけん制している暇があったらどんどん押したほうなよさそうなものです。

しかし、技として存在し、実際に使われているのは、やる価値があるということです。

 

「掌底」とは

掌の付け根あたりによる打撃です。

打撃の“運動量”は「重さ×速さ」であり、拳を握っていようが開いていようが攻撃者の体重は変わりません。

スナップで打つ平手打ちではなかなか体重は乗せにくいですが、掌底ならパンチと運動量はほぼ同じでしょう。

むしろ、手首の関節を押し出すように駆動させて加速できる分(手の甲分のリーチは失いますが)、運動量はパンチより掌底のほうが大きいかもしれません。

 

「ジャブ」との共通点と相違点

ボクシングの「ジャブ」も、けん制しつつダメージを狙う技です。

相撲の張り手は「掌底によるジャブ」みたいなものと言えるでしょう。


ボクシングではクリンチ(密着状態)が続くとレフェリーが引き剥がしてくれますが、相撲は一度組んだらほぼ組みっぱなしです。

よって、「けん制」が持つ意味はボクシング以上という気さえします。


ただ、ボクシングにおいてジャブは基本技であるのに対し、相撲ではサブウェポン的扱いです。

これは、やはり「脇が空く」というリスクのためと考えられます。


張り手を禁じ手にすべき理由

相撲は張り手があったほうが断然面白いです。

立ち会いの駆け引きがあるからです。

うまくけん制が決まれば「美しい」ですし、けん制しようとしたところへ潜り込むのも「美しい」です。

格上の力士が格下に張り手を出すのは「潜り込んでこい」というメッセージとも取れます。


しかし、張り手は禁じ手にしたほうがいいと思います。

なぜなら、前述の通り、打撃の威力は体重に比例するからです。

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相撲はそもそも、体重別に分けるということをしない、特殊な格闘技です。

「神事」という側面もあるので、ここには文句のつけようがありません。


「押し合いへし合い」は、誰がどう見ても体の大きい者が有利です。

そして「殴り合い」も、実は体の大きい者が有利なのです。

くどいようですが打撃の運動量は「重さ×速さ」です。

また、受ける側でも、体が大きければ衝撃を広く分散することができ、小さいとモロに喰らいます。

ほとんどの格闘技が体重で区分しているのは「デカけりゃ強いから」なのです。


横綱の張り手は、美しくないからとかではなく(相撲協会的には美しくないそうですが)、強すぎるから禁じるべきなのです。


それでも禁じ手にならない理由

僕や玉川さん(モーニングショーの)が何をどう言ったところで、今後、張り手が禁じ手になることはないでしょう。

たぶん、「禁じられてはいないのに使わないという美学」相撲協会は大事にしているのです。


これは「坂本龍馬北辰一刀流の免許皆伝だったのに生涯一人も斬ったことがない」という伝説が語り草になっているのと通じるものがあります。

(※銃で撃ったことならあるみたいです)


日本人は「なのに」が好きですよね。

「美人すぎる◯◯」っていう今では陳腐な表現も「なのに好き」の一種なのでしょう。