昔は本を読んだり演劇・映画を観たりする度に必ずブログで感想を書いていました。
いったん習慣化されてしまえば楽ですが、習慣から外れてしまうと、
「感想書くのってエネルギー要るな……」
という思いを禁じ得ません。
感想文を書くのは大変だ
「読書感想文なんて簡単に書けるよ!」
という虎の巻が世の中にたくさんあります。
それだけみんな、読書感想文という課題に苦しめられているのでしょう。
感想文を楽に書くコツはあるっちゃあります。
しかし、感想文が楽々書けるという状況は、読者(感想文の著者)の技術より環境に依存するところが大きいと僕は考えています。
以下のような場合、簡単です。
作品が超面白かった場合
テンションに任せて書けばいいので簡単です。
作品がクソつまんなかった→批判してOKな場合
素直な気持ちを書けばいいので簡単です。
短くても許される場合
よく覚えていることだけ書けばいいので簡単です。
逆に、
可もなく不可もない感じだった→規定文字数以上書かないといけない場合
極めて大変です。
そしてこれが宿題としての読書感想文の最もポピュラーな状況なのです。
宿題の読書感想文は規定文字数を減らすべき
と、僕は文科省に対して強く訴えたいです。
(文科省でいいのかな)
理由は、
- 苦しみながら読書感想文を書くと読書が嫌いになりかねないから
- 今はネットで感想文のコピペ元が拾えてしまうから
です。
ググってコピペするのは、宿題としては完全にアウトでしょうが、どうせ対策しても防ぎ切れません。
(クソ過ぎワロタ)
それに、
「特に何とも思わなかった作品について1600文字以上述べよ」
と言われたら、僕だって速攻でググります。
コピペこそしませんが「観点」をパクります。
「何とも思わなかった」のは、作品と読者の相性が悪かったことで生じる不幸であって、読者の感受性の問題ではありません。
規定文字数が短ければ、ググらなくても書けます。
それでもググる奴にはむしろ「要約」という作業を強いることができます。
一定量の文章を書けるというのは大事な能力だと思いますが、それを「読書感想文」という課題で養う必要はないはずです。
ちなみに、ちょうどこの記事のこのあたりで、原稿用紙2〜3枚です。
たったこれだけの量でも、特に何とも思わなかったものについて語るのは苦行でしかありません。
読書メーターというサービスは、「255文字以内」という絶妙な枠を設けています。
マジで絶妙です。
これが「400文字以上」とかだったら、こんなに普及していないでしょう。
一冊の本に対して一般人が書く感想は「ほんの一言〜200文字前後」で十分だということです。
「読みやすい」は本当に褒め言葉なのか
ちょっと前、ツイッターで、
「『読みやすい』は褒め言葉だよ!」
という流れを観測しました。
「読みやすい」自体が褒め言葉なのは確かですが、
- その界隈で読みにくい文章がいかに多いか
- 読みやすいのは大事だけど美点というより前提条件ではないのか
- 読みやすい以外に褒めるところはないのか
といったことも併せて考える必要があります。
「『読みやすい』は褒め言葉だよ!」
というツイートが大量に流れていく様子を僕は、
「ほんまにええんかお前ら……」
という思いで眺めていました。
なぜなら「読みやすい」は、女の子が褒め言葉に困った時とりあえず言っとく「かわいい」みたいに、手軽に使えるカードとして乱用される恐れがあるからです。
お互い読みやすい読みやすいばかり言い合って肝心なところに触れないという世界は、平和だけど地獄だなと、個人的には思います。