それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

コロナ後の演劇について

いま、演劇はだいぶ厳しい。

Twitter検索でトップの話題がセクハラというあたり、

内容面で話題の事柄が非常に少ないことを示している。

 

劇団・役者は

活動自粛でそのままフェードアウト、

公演中止でリタイアなど、

正確な数字はわからないが、

数は相当減っただろう。

 

劇団・役者の減少は観劇人口の減少も意味する。

演劇はお互いに買い合う商店街みたいなものだから、

いくつか店が閉まれば街全体が死んでいく。

 

観客は

自身が表現者側でない貴重な観客層も、

観劇自粛でそのままフェードアウト、

推しの休止でリタイアなど、

相当減ったに違いない。

 

たぶん、他の楽しみを見つけてしまった。

これが大きい。

「推しにつぎ込む」のは、

舞台に全通してグッズ買ってチェキ撮るのから、

YouTubeやライブ配信の投げ銭に移行した。

誰の財布にも限界がある。

スパチャしたらチケットを買う金はいくらも残らない。

 

行政の支援・保護について

「政治が悪い」と言えば共感されやすいのだろうが、

僕はそう考えていない。

 

文化庁の継続支援なんちゃらは、

なんか謎のお小遣いをバラ撒いただけだと思っている。

いろんな人にもったいないと言われたが、

僕は対象でないと判断して一銭も受け取っていない。

 

目先の小銭ではないのだ。

ファンをキープできなければ表現活動は継続できない。

そして、ファンのキープは行政も助けようがない。

「演劇の灯を消さないで」というメッセージが、

口先だけの言葉やウソだったとは思わないが、

行政は娯楽の多様化の否定もできまい。

スパチャやめてチケット買いましょうなんて、

口が裂けても言えるわけがないのだ。

非商業の表現者たちまで保護する余裕は行政にはない。

商店や農家とは話が違う。

 

自力でどうにかファンを繋ぎ止めようと、

YouTubeのチャンネルを開設する劇団や、

ライブ配信を始める個人も多数見かけた。

素早く動いたのは素晴らしい。

けれど、成功例がいくつあるだろう。

 

動画は

すでにファンがいるなら維持には役立つ。

けれど、フツーの稽古風景や雑談や朗読では、

新しいファンを見つけることは極めて難しい。

 

YouTubeもライブ配信も、当たり前だが、

「演劇を助けるために作られたツールではない」。

運営側も視聴者も、

外部に時間や金を使わせたくないし、

使いたくないと思っているはず。

Twitterも同じ。

内部で完結させたがっている。

外部リンクのついたツイートが伸びにくいのは、

そういう仕組みでありユーザーの意向でもある。

 

Twitterで数千人のフォロワーがいるのに、

YouTube開設したら100もいかないなんてのは、

まったく驚くべきことではない。

TwitterからYouTubeへの誘導も難しいのに、

YouTubeから観劇への誘導なんて曲芸に近い。

 

YouTubeやライブ配信をやるなら、

観劇への導線や一時凌ぎとするのではなく、

YouTuberやライバーとして成功すればいい。

だが、昔から全力で動画をやってきた人たちがいる。

舞台しか知らない人が軽くつまんだ程度では、

彼らに太刀打ちできるわけがない。

これは「無観客演劇」も同じ。

ずっと昔から映画をやってきた人たちがすでにいる。

 

復活の目は

他に、資材の高騰もある。

客席制限で値上げしたチケット価格が据え置き傾向で、

観劇マインドが低下している側面もある。

スパチャ以外にも旅行とか、

封印されていた娯楽に流れる向きもある。

 

コロナ前はトントンでやれていた劇団も、

いま同じように公演を打てばまず赤字だろう。

かなり挑みにくい世界になった。

 

「演劇って面白い」と知ってもらうには、

面白い演劇を見せるのが最良の手段である。

他の媒体で伝えるのは難しい。

けれど、それは以前から別に変わっていなくて、

何かのきっかけで見てくれる人たちが確かにいたのだ。

 

厳しくなった世界で重要になるのは、

「プロっぽさ」だと感じている。

昔は手作り感とかどこか垢抜けない感じも、

育成するような目で見てもらえる空気があった。

そういうのは、おそらくもうない。

最初から仕上がっているものに人は集まる。

 

何がプロっぽくなければならないか。

チラシもそうなんだけど、何と言うか、全体だ。

漠然とした自己表現はもうお呼びでない。