文学フリマの良さについて
先月、ちょっとしたご縁があり、「文学フリマ東京」に一般来場者として行ってきました。
日中は仕事があり、16:00過ぎに到着。
接触確認アプリの導入を必須とする等、感染対策に気を遣っておられました。
もう終了間際ということで、全体的に疲弊している様子がエモかったです。
というのは「演劇公演の仕込み1日目の夜頃の役者の雰囲気」に酷似していたからです。
おわかりいただけるだろうか。
前日まで連日の稽古、からの気合い入れて仕込み、からの灯かり作りの為に客電落とした中のあの雰囲気です。
アマチュアでも自由に発表できる場という意味で、根本的に演劇と文フリはよく似ています。
大きな違いは「作品はどうでもよくて、物販やチェキ・握手券にしか興味がない人」が文フリには存在しないという点です。
残念ながら演劇にはそういうプロデューサーやお客さん(お客さんを悪し様に言うのは憚られますが)が存在します。
真面目に演技を頑張ろうとしている役者が不憫で仕方ありません。
コミケではとんでもない売上を叩き出す人がいるようですが、文フリはおそらくここで一儲けしてやろうという人はほぼいないと見ていいでしょう。
検索サジェストでは「文フリ 売れない」が出てくる始末です。
文フリには、「会いに来てほしいのではなく、作品を読んでほしい作者」と、「一般の書店ではあり得ない、未知との遭遇を求める来場者」しかいません。(たぶん)
つまり、お金の匂いがしません。
それってすごく尊いことだと思うのです。
投稿サイトも似た性質を備えた場所ではありますが、書籍化・アニメ化が増えている今、以前よりガツガツした世界になりつつあるという印象です。
また、投稿サイトの場合、完結する責任がどこにもありません。
期日までに完結させて何らかの形で製本しなければならない――というハードルが存在するだけでも、文フリは投稿サイトと一線を画しています。
平均的な質は、高くないのかもしれません。
それは演劇とも投稿サイトとも同じです。
しかし、「公募とはまた別の形で」「真摯に文学やりたい人」にとって、文フリはかけがえのない場所と言えます。
コロナによって色々なもののオンライン化が進められていて、全体としては進化だと思う一方、文フリにはオフラインで存続してほしいと切に願っています。