それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

インターネットでボロクソに叩かれた話

3年ほど前の話ですが、匿名で書いた記事をボロクソに叩かれたことがあります。

 

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すごいでしょ(・∀・)

 

皆さんかなりの情熱を込めてコメントしているものと思います。

この記事書いたライターは大変なショックを受けて寝込み、自分の仕事を心底恥じて筆を折り、幼稚園からやり直すべきだとお考えでしょう。

 

こんなに叩かれるのは生まれて初めてだったので、それなりにショックでした。

しかし、寝込んだり筆を追ったりするほどではありませんでした。

「いやでもこれで上の指示通りなんで」

というのが僕の着地点でした。

 

※当時、この企画意味わかんなくないですかと楯突く気概はありませんでした。

※今はTPOに応じて意見を述べるようにしています。

 

何が言いたいかと言うと、ダメージは分散するという話です。

 

 

 

大津園児死亡事故の会見で、保育園を責め立てるような質問に批判が殺到しました。

 

 

 

 

 

この一連のバッシングに対して、マスコミはさほど――批判している側が望むほどには――ダメージを受けていないものと想像します。

何故なら、(質問が事前に用意されていたものと仮定して)

  • 記者は「命令されたから」
  • 上司は「自分が質問したわけではないから」
  • 責任者は「一部署が勝手にやったことだから」
  • そもそも嫌われてることに慣れているから

 です。

 

もしこれが完全に一個人による質問なら、批判はその個人に集中します。

10の力で批判すれば10のダメージが個人に届きます。

しかし、相手が集団の場合、ダメージは分散します。

10の力で批判しても個々人には2ずつぐらいしか届かないのです。

 

習慣を変化させるのは心情です。

本気でプロになりたいと思わないと練習量は増えません。

本気で健康になりたいと思わないと食生活は変わりません。

マスコミ――に限らず集団――がどんなに叩かれてもなかなか体質を変えないのは、個々人がさほど「このままでは不味い」と感じていないからではないでしょうか。