3年ほど前の話ですが、匿名で書いた記事をボロクソに叩かれたことがあります。
すごいでしょ(・∀・)
皆さんかなりの情熱を込めてコメントしているものと思います。
この記事書いたライターは大変なショックを受けて寝込み、自分の仕事を心底恥じて筆を折り、幼稚園からやり直すべきだとお考えでしょう。
こんなに叩かれるのは生まれて初めてだったので、それなりにショックでした。
しかし、寝込んだり筆を追ったりするほどではありませんでした。
「いやでもこれで上の指示通りなんで」
というのが僕の着地点でした。
※当時、この企画意味わかんなくないですかと楯突く気概はありませんでした。
※今はTPOに応じて意見を述べるようにしています。
何が言いたいかと言うと、ダメージは分散するという話です。
大津園児死亡事故の会見で、保育園を責め立てるような質問に批判が殺到しました。
大津の保育園も保育士も打つべき手は打った。ストリートビューが証明している。保育士は車道側を園児を守るように歩き、交差点では盾になり信号が変わるのを待っている。なのに事故は起き、記者から加害者であるかのような質問が飛ぶ。「泣きは画になる」との上司の命だろうが、無慈悲と言うしかない。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2019年5月9日
昨日の大津の保育園児死亡事故の記者会見で保育園側の過失を問うような記者の姿勢に、多くの人がネット上で怒りを表明。
— 駒崎弘樹 ( Hiroki Komazaki )@病児保育入会受付中 (@Hiroki_Komazaki) 2019年5月9日
そして今日、保育園や保育士たちが萎縮しないように、
#保育士さんありがとう
のハッシュタグで、みんなが励ましてくれ始めた。
いち保育園経営者として救われる思い。感謝(涙
元アナウンサーの小笠原遙さんの取材を受けました。記者は世間を代弁する第三者ではなく、自分も観察される当事者なのだという認識が欠如している。/大津・園児死亡事故でのマスコミ批判。佐々木俊尚さんは「報道側も世間に晒される時代になったと認識を」 https://t.co/cTLOTLJNsm
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2019年5月10日
https://t.co/HcjcTePgKv
— Toshi (@silverfox52888) 2019年5月10日
論点がずれてる。
何故、マスゴミと言われるのか?
というのを真摯に向き合って深堀りをした方が良い。
感情論で物事を話すなというのは同感するところもあるが、社会通念や道徳観を記者は持っているのか?
その資質が欠けているからこんなバッシングになるのではないか?
この一連のバッシングに対して、マスコミはさほど――批判している側が望むほどには――ダメージを受けていないものと想像します。
何故なら、(質問が事前に用意されていたものと仮定して)
- 記者は「命令されたから」
- 上司は「自分が質問したわけではないから」
- 責任者は「一部署が勝手にやったことだから」
- そもそも嫌われてることに慣れているから
です。
もしこれが完全に一個人による質問なら、批判はその個人に集中します。
10の力で批判すれば10のダメージが個人に届きます。
しかし、相手が集団の場合、ダメージは分散します。
10の力で批判しても個々人には2ずつぐらいしか届かないのです。
習慣を変化させるのは心情です。
本気でプロになりたいと思わないと練習量は増えません。
本気で健康になりたいと思わないと食生活は変わりません。
マスコミ――に限らず集団――がどんなに叩かれてもなかなか体質を変えないのは、個々人がさほど「このままでは不味い」と感じていないからではないでしょうか。