DramaJamの成果と反省
成果
ハッカソンの底力を確認できました。
「ハッカソン」(hackathon)とは、広い意味でソフトウェアのエンジニアリングを指す“ハック”(hack)とマラソン(marathon)を組み合わせた米IT業界発祥の造語で、もともとはプログラマーやデザイナーから成る複数の参加チームが、マラソンのように、数時間から数日間の与えられた時間を徹してプログラミングに没頭し、アイデアや成果を競い合う開発イベントのことをいいます。企業や各種団体によって開催されることが多く、近年はIT業界以外の分野にも拡大。組織の壁を超えて優れた発想を取り込み、新しい商品やサービスの創出につなげる“オープンイノベーション”の手法の一つとして、日本国内でもさまざまな企業が活用し始めています。
出典:Weblio辞書
「短期集中」と、「即席」や「急ごしらえ」は、似て非なるものです。製作過程も丸ごと公開することで――そのやり方は後述するように改善の余地ありですが――作家・役者たちでなくお客様にも、独特のライブ感を味わっていただけたのではないかと思います。
観客投票も良い形でやれました。応募の際のアンケートで「集客さえ多ければ勝てるものだと萎える」というご意見があったので、1番良かった作品だけでなく2番目に良かった作品にも投票してもらいました。また、「脚本賞」と「朗読劇賞」を分けたのも地味に好手だったと思っています。
あと、お金関係をクリアにしたのも正解だったという認識です。最近はチケットノルマ=悪みたいな風潮があり、ノルマ無しが謳い文句になっていますが、今回は募集段階からノルマとバックの数値を明示し、収支は関係者向けに公開すると公言していました。会場使用料やスタッフの人件費は絶対にかかるわけですから、表現の場を獲得する作家の皆様には堂々とノルマを負担してもらいました。
反省
3日間では何が無理だったのか
アフタートークで「3日間は正直無理があった」「次は4日間でやりたい」という話をしました。これ、ちょっと誤解を招いてしまったかもしれません。作品のクオリティを担保できないという意味ではなく、運営的に厳しいものがあったという意味でした。
終演後の小打ち上げで話を聞いたところ、「役者の出演作品が1つなら3日間でもいける」という声が数名から上がりました。稽古時間は一応均等に割り振られているとは言え、役者が2つの作品を受け持っていると、稽古時間外や執筆中の共有時間で「召集するのに気を遣う」という難点がありました。1つの作品に集中してくれるなら短い時間でも朗読劇は作れるーーというのが何人かの手応えのようです。
2作品ずつ出演してもらったのは、有り体に言って「短編の朗読1つではお客様を呼びにくいはず」という考えです。朗読というのはただでさえお手軽金儲けイベントと見なされて忌避されています(少なくとも僕はそういうイメージを持っています)。即興&製作過程公開という付加価値はあっても、朗読3本の中の1本に出るというだけでは告知しにくかったはずです。実際、2本出てもらうことで、その役者のファンには「見比べる」という新しい価値が生まれました。しかし、作る側としてはキツかったということです。
運営的に厳しかったというのは、具体的には下記の点です。
- 休憩時間0秒で終日全稽古に付き添い
- 最終稿提出から受付開始まで販売用脚本の印刷に使える時間が0秒
- 電子版合本の作業に使える時間も0秒
- 上演時間最大30分なのに場当たり1チーム40分(転換含む)という暴挙
そして何より、
- 無理している時特有の判断力の低下
です。
劇団でそれなりに規模の大きな公演をやったり、数ポジション掛け持ちしたプロデュース公演をやったりしてきて、「おれは要領よくやれる」「ノウハウがある」という過信がありました。初心に還るべき時です。
開会式の見立てが甘い
タイムテーブルを見ると11:00開会式、12:00執筆開始となっています。このタイムテーブルを組んだ人は頭がおかしいのでしょうか。持ち時間2分のプレゼンを22人がやれば最短でも45分です。1時間で済むわけがありません。結局2時間近くかかりました。
さらに、満を辞して予定に追加した演出ミニ講習会を丸ごと忘れるというポカをやらかしました。今となっては「ミニ講習会程度では大した意味はなかった」と思っていますが、一度やると言ったことはきちんとやるべきです。
テンプレートが不便
「自分のテンポで演出したら1ページ1分になるWordのテンプレート」を配布したのですが、そもそもWordを使っていない人がいて、あまり有用ではありませんでした。上演時間ではなく文字数で規定すべきでした。
参加者への説明不足
集合時間とタイムテーブルは事前に説明していましたが、場当たりと本番の転換の流れも事前にあるいは開会式で説明しておくべきでした。場当たりが受付開始までに終わるかどうか、また、転換がスムーズに行けるか、かなり際どいところでした。
お客様への案内不足
1日目・2日目も受付に人を常駐させ、ご見学のお客様にはパスカード・腕章等を発行すべきでした。また、客席は待機している役者・執筆している作家もいたので、観覧席を区切るべきでした。
3日目は当パンを作り、場内案内・前説を立てるべきでした(あのタイムテーブルでは当パンを印刷する時間が0秒でしたが)。マチネ出演の友利さんがソワレ公演で場内案内・前説を申し出てくれたのは本当に助かりました。
あと、遅れ席を確保し損ねました。これはただの凡ミスです。
駄サイクルに陥っていないか
企画者が言うべきことではないかもしれませんが、あけすけスタイルを貫きます。
本番はまずまずの入りで、この規模の公演にしては当日券も多く、Twitter・ブログでは結構盛り上がっている雰囲気が出せたと思います。本番に来られなかった知人も熱気が伝わってきたと言ってくれました。
しかし、
- 1月5日という時期的な厳しさ
- 急に決まったが故の宣伝する時間の短さ
この2つを差し引いても、もうちょっと客席を埋めたかったというのが正直なところです。ソワレは埋まっていたように見えたかもしれませんが、あれは配列マジックを使っています。
駄サイクルに陥っていないか。これはDramaJamに限らず、全ての劇団、全てのクリエイターが気にしないといけないことです。たった1人でも読者や観客がいるなら創作に意味はありますが、閉じた輪の中ですごいねすごいねと言い合っていても未来がありません。何しろ、輪の外に晒されたらすごくないかもしれないのです。
Twitterで呼びかけてからごく短い時間で6人も作家さんが手を挙げてくださったのは本当にありがたいことでした。けれど、うち5人がNovelJam出身で、演劇畑の人は馬原さんしかいなかったというのは、僕の影響力不足です。
今思うと、企画説明として「NovelJamの舞台版」と言ったのが良くなかったのかもしれません。確かに僕自身がNovelJamに参加させていただいたことがそもそものきっかけで、NovelJam関係のコネに大変助けられたのですが、その亜種ではなく新種の演劇イベントとしてPRしていれば、もっと広い範囲で興味を持ってもらえたような気がします。
NovelJamを開催したHON.jpの鷹野理事長は以前こんなことをおっしゃっていました。
「駄サイクル」って「ぐるぐる回り続けるだけで一歩も前身しない駄目なサイクルのこと」だから、競い合ったり、ダメなところを指摘し合ったり、外へ広げようとあがいている人達に向けて使う言葉じゃないよな、とはずっと思っている。なんか駄サイクルの意味が微妙に拡張されちゃってる感ある #NovelJam
— 鷹野凌@HON.jp📚 (@ryou_takano) 2018年12月3日
一応、前進しようとはしているので、駄サイクルではないということになるでしょうか。でも、気持ちの上で足掻いているだけでは意味がないとも思うのです。
色々書きましたが、今回がひどく閉鎖的だったと絶望しているわけではありません。第一に、劇団の公演ではない時点でかなり輪は広がっています。個人の集まり故、個人を見にきたファンに他の作家・役者を見てもらうことができました。第二に、参加者同士の横の繋がりも生まれました。
小説と演劇、両方をやっている身として、今後も架け橋的な役割を果たしていきたい所存です。
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