それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

今までのようには生きられないかもしれない

昨年初めてボドゲカフェに行ったあたりから、アナログゲームの制作を始めました。

 

 

皆様にテストプレイをお付き合いいただき、調整が完了したので、知人にイラストとデザインを頼んで、製品化を進めています。

なお、完売しても余裕で赤字です(・∀・)

来月あたりに完成予定なので、助けると思って買ってやってください。

 

演劇すごろくは内輪ノリの感が無きにしもあらずですが、他にも、トランプと組み合わせたカードゲームを開発中です。

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数回やったテストプレイは相当盛り上がったので、「これカタン級に売れないかなあ」などと調子に乗ったことを考えています。

 

一方、

こちらのゲームブックはPVがやっと3桁に届いたところです。

ありていに言えばスベりました。

まぁ仕方ありません。

失敗は恥じることではなく、自分的にはまずまずの出来だと思っています。

 

……あの、一応ヒントを出すと、最初は「7」が正解です……(・∀・)

 

突然ゲームクリエイターを名乗った理由

端的に言うと、「今後数年単位で演劇の公演がしづらい状況が続くかもしれないと思ったから」です。

 

本業は演劇の脚本家なので、演劇をやりたいのですが、気持ちや気合いでどうにかなる問題ではありません。

表現形態と現状の相性が悪過ぎます。

驚いたことにコロナビールが生産を停止するそうですが、

演劇もコロナビールと同様、非常に運が悪かったと言えます。

 

なお、5月に予定している公演については、現在様子見をしています。

 

仮にこの状況が長く続くとしたら

 演劇人は何か新しい表現方法を考えないといけません。

先日の記事では「映像の活用を」と呼びかけましたが、映像はあくまで代替手段です。

主戦場たり得ません。

 

最近になって個人で動画を始めた役者さんを何人か見かけました。

それ自体はとても素晴らしい行動です。

人前に立つのを続けることになりますし、新規のファンが付くかもしれませんし、何か発見があるかもしれません。

いいこと尽くめです。

 

しかし、劇団ないし演劇プロデューサーが「映像を表現の場にできるか」と言ったら、できないと思います。

できないというか、最初から映像を表現手段としている人たちに勝てません。

演劇は「観客の目の前でやっている」という最強装備を外すと魅力70%OFFになります。

 

では、劇団はどうすればいいのでしょうか。

 

映像制作集団にシフトチェンジするという方法があります。

従来のように演劇として作って演劇を撮るのではなく、一から撮影・編集のやり方を研究して、機材も買い揃えて、映像作品として制作するのです。

つい先ほど「最初から映像を表現手段としている人たちに勝てない」と言いましたが、「舞台をやってきたからこそできる、新しい映像表現」もきっとあるはずです。

 

他にも、

  • ひたすらお金を貯めながら事態の収束を待つ
  • 三密に当たらない劇場(野外で隔席とか?)を探す or 作る

等があり得るでしょう。

なお、

  • 充電期間と捉えて何もしない

これだけはあまり良い選択と思えません。

たいていの人はそのまま引退してしまいます。

 

僕の場合は(個人なので劇団とはちょっと事情が違いますが)、

  • アナログゲームという新しい表現形態に手を伸ばした

ということです。

演劇を諦めてしまったわけではなく、従来通りには演劇ができないかもしれないので、とりあえず表現の場を広げたと解釈してください。

 

目下の悩みは、ボドゲは結局何人か集めてしまうという点です。

「ロビンソン漂流記」とか「パンデミック:新たなる試練」みたいな一人でも遊べる or 一人用ゲームを作りたいのですが、まだ研究が足りません。

 

小説は?

と疑問に思ってくれた人がいたら嬉しいのですが、どうでしょうか。

 

小説も書いています。

現在は『いせまけ』等の加筆をしていて、

4月末〆切の脚本の仕事が終わったら次は新作に取り組む予定です。

 

ただ、僕の小説は娯楽度が低めです。

メッセージ性が強めなのは演劇でもそうなのですが、演劇は「かわいさ」を投入してマイルド化できているのに対して、小説は心情を直に書けてしまうだけに重くなりがちです。

歴史系の作品だけでなく、ライトノベル系でもその傾向があります。

 

おそらく今後、娯楽度の高い作品の需要がますます上がっていくでしょう。

息苦しい状況では、シリアスな内省よりシンプルな息抜きが求められます。

 

だったらそういう小説を書けばいいのかもしれません。

でも、その道は選びませんでした。

小説ではたとえ需要が下がっても路線変更はしたくないのです。

娯楽作品が増え過ぎたらその反動で重めの作品にも光が当たらないかなあという期待もあります。

 

一番望ましいのは

早期に事態が収束して、今まで通りに演劇ができることです。

でも、そうはならないかもしれません。

 

ずっと同じ状況が続かないのは世の常であって、イレギュラーではないのです。

あらゆる事態を想定して備えるのは無理でも、いつかは必ず何らかの変化が起きると考えて、柔軟に対応していきたいものです。

 

 

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