無観客演劇は可能か
緊急事態宣言中、演劇は無観客でやるよう要請されています。
今回(2021年4月25日~)の緊急事態宣言について
- クラスターの履歴や感染対策の有無を問わずとにかく人流を止めたいのは理解できる
- 「その割にキャストとスタッフは動いて集まっていいんだ?」と何とも言えない妥協を感じる
- 発表が直前過ぎるのと日曜スタートなのが鬼(土日を跨いだら演劇に限らずあらゆるエンタメが混乱するのは予想できたはず)
- これだけ強い要請を今さらしておきながら路上飲みに対して注意喚起程度なのは意味不明
という感想です。
無観客の「要請」とは
「行政は演劇をわかってない!」みたいな声をTwitterで数多く見かけましたが、行政的には、
- わかってるかわかってないかではなく「わかるわけにはいかない」
- いいから家にいろというスタンス
- 「どうか今は映像を使って文化芸術の火を絶やさないでください!」っていうメッセージのつもり
- なおその意図は伝わってないもよう
ってことなんだと思います。
仮に演劇の有観客公演を許したら100%、他の分野から「演劇はいいのかよ」って言われます。
また、「演劇です」と言い張って謎イベントを開く輩が現れかねません。
給付金不正受給の件数の多さを見ると、
お金を稼ぐ・貰うためなら平気でズルをする人が非常に多いことがわかります。
※文化庁の「文化芸術活動の継続支援事業」も実際「相応しいとは言えない」貰い方をしている人が相当いるだろうと思っています。
要請なので
従わない劇場・劇団を批判はしません。
命令ではないし、
- 延期のしにくさにおいて演劇は突出しているから
です。
ただ、
- 有観客じゃないと演劇じゃないから
は、理由には含まれません。
また、
- 無観客では採算が取れないから
については本稿では考慮しません。
「観客がいなければ演劇ではない」
というのは、演劇を「文化」として見ると、間違いなくその通りです。
しかし、映像という手段がある今、「映像を観ている客は観客ではない」と言い切れるでしょうか?
これ、ちょっと雰囲気だけの話かもしれませんが、去年「オンライン演劇」が出始めた頃、
- 演劇やれるじゃん!
- これも立派に演劇じゃん!
みたいな空気ありませんでしたか?
ああいう勢いだった人たちはどこへ行ったのでしょうか。
※オンライン演劇に対する僕のスタンスは去年書きました。
moriyamatomohito.hatenablog.com
少なくともオンライン演劇を推進・歓迎していた人たちは「映像を見ている客も観客である」と認めていたわけです。
コメント機能を駆使したオンライン演劇を視聴した人からは「一体感が凄かった!」という感想を聞いたことがあります。
ならば、今やパソコンやスマホの前も「客席」と言えるんじゃないでしょうか。
「受け手がいなければ存在価値がない」という話なら、小説や漫画や映画もそうです。
どんなに頑張って作った料理も誰も食べなければ腐るだけです。
役者の演技に「観客の反応」は必要なのか
やっと本稿の核心部です。
「観客の笑い声や啜り泣きで役者の芝居が良くなる」という説をよく聞きます。
実際そうだと思います。
「伝わっているんだ」という手応えが集中力・パフォーマンスを高めているわけです。
聴衆の中によく頷いてくれる子が一人いるだけで格段に話しやすくなるのと同じです。
しかし、作品の世界に本来「観客」は存在しないはずのものです。
役者の演技はあくまで物語上の出来事が根拠となるべきであり、観客に左右されるべきでない――という考え方もあります。
最近、「笑い待ち」についてアンケートを取りました。(ご回答ありがとうございました)
アンケートにご協力願います。
— 森山智仁 (@bacoyama) April 18, 2021
演劇において「笑い待ち」(観客の笑いがおさまるのを待つこと)は、
下二つの回答をした方は「笑い声は俳優に聴こえないはずのもの」(だけど仕方ない or だから無視すべき)と考えているということです。
僕の考えを申し上げます。
- 観客の反応があろうとなかろうと安定して最高の演技ができるのが本当は一番いい
- 手応えを感じてパフォーマンスが上がるのは人間だから自然なこと
- その120%状態にまで稽古だけで持っていくのは極めて難しい(優秀な演出家なら不可能ではない)
- 笑ってほしいなら笑い待ちはすべき(「客席で笑いを起こしたい」と「客席を完全無視させて演技に集中させたい」は同時成立し得ない)
観客の反応で演技が変わってこそ演劇――という考え方も否定はしません。
作品に捧げたい「アーティスト気質」か、観客を喜ばせたい「エンターテイナー気質」かの違いだと思います。
そして、エンターテイナー気質の人のほうが将来成功する確率は高いと思います(・∀・)
無観客演劇は可能か
表題に対しての回答を整理すると、
- 映像作品として製作していれば可能(というかそれはもはや映画あるいは手の込んだライブ配信である)
- 映像作品として製作 or 配信の準備をしていなかった作品を急遽配信したら観客の満足度はガタ落ちする(それで妥協せよと行政は言っている)
- 劇場が許可しない or 国民として協力したいなら無観客で全力でやるしかない
- 役者が作品世界に集中することは可能
- 目の前で観客が笑ったり泣いたりしてくれないとやる気が出ないなんていう俳優がいたらそれは甘えだと思う
といったところです。
補足
コメディーを無観客で上演する場合、スタッフや効果音による「笑い声の仕込み」はやっていいんじゃないでしょうか。
みんな大好き「フルハウス」も、スタジオの笑い声無しだとかなり笑いにくいはずです。
つい先ほど「観客の反応があろうとなかろうと安定して最高の演技ができるのが本当は一番いい」と言いましたが、コメディの場合「無反応」は0でなくマイナス、滑っているとかブーイングを受けているのと同質の状態と言えます。
ゆえに、笑い声の仕込みは反則ではなく認められるべきと考えます。