新聞博物館に行ってきました
昨日、横浜の日本新聞博物館に行ってきました。というのは、京アニ放火事件の報道を巡ってメディア批判が高まっているのを見て、
京都アニメーションの犠牲者の身元を公表しないと「事件の全体像が正確に社会に伝わらない」としたら、それは公表の有無ではなく報道の仕方に問題があるのでは? pic.twitter.com/f81zYIw2tO
— 甘栗 (@amaguri7x) 2019年8月21日
「メディアさんサイドはどういう言い分なのだろう」というのが気になったからです
昼過ぎまでにその日の仕事を半分済ませ、湘南新宿ラインで『横浜駅SF』を読みながら横浜へ(笑うところです)。
企画展では『報道写真展「平成の軌跡 そして令和へ」』という展示をやっていました。
思い出深い写真がたくさんあって面白かったです。
ほとんど記憶に残っていない事件もあり、「そう言えば中学~大学の頃は世の中のことに全然関心なかったな」と反省しました。
常設展は「新聞のあゆみ→情報社会と新聞→新聞を知ろう」という構造になっていました。
歴史好き(にわか)としては、江戸時代のかわら版から現代の新聞に変わっていく過程を一番興味深く見学しました。
小説が一本書けそうなネタも拾えました。
ネタ探しに行ったわけではないので本当の拾い物です。
なぜメディアはメディアスクラムをやめないのか
戦時中、メディアが正しい情報を伝えられなかったことについての大きな反省と、それに伴う強い使命感が伝わってきました。
しばしば国や権力者と対立してでも正しい情報を伝えなければならないという意志が根底にあり、それが社員一人一人にも伝播しているものと想像します。
つまり、戦士の集団です。
戦う気概がある故に、一般の商売人より批判への耐性を持っています。
メーカーなら文句を言われたら平謝りですが、メディアは違うのです。
伝えなければならないという使命感と、被害者や無関係な人たちへの配慮は共存できないものではないはずですが、どんなに叩かれても彼らがやめない理由は、社や人の気質にあるのだろうと思いました。
活版印刷職人はどこへ行ったのか
もう一つ心に残ったのは、印刷技術の発展の歴史です。
メカ好き(にわか)として、大きな輪転機の展示や昔の印刷機の映像はワクワクしたのですが、こういうのを見ると僕はどうしても「ある技術が不要になった時、その道のプロはどうなったのか」ということが気になります。
くっそ細かい鉛の活字を配列する技術を、彼らは少なからず誇りに思っていたはずです。
新しく入ってきた機械に馴染めた人はいいですが、そうできなかった人も大勢いるのではないでしょうか。
(荷物背負ってるのぐうかわいい)
伝書鳩が1960年代まで使われていたということにも驚きましたが、これもやはり同じことで、伝書鳩が使われなくなって、「伝書鳩を飼う技術」は不要になってしまったわけです。
そして、展示の後半でスマホを大きく取り扱っていたように、情報伝達の手段も紙から液晶に移行しつつあります。
もしかしたら紙の新聞は近い将来、骨董品の類になるかもしれません。
仮にそうなっても新聞社の役目が消えてしまうわけではないはずですが、「大きな紙に情報を配列する技術」はロストテクノロジーとなります。
新聞配達という職業も消滅します。
以前、ロボットが人間の仕事を奪うということについて考えましたが、
moriyamatomohito.hatenablog.com
機械によって仕事が消えるということは何十年も前から繰り返されてきたわけです。
なお、この日は15時少し前に入って閉館の17時ギリまで見学しましたが、じっくり見ると微妙に時間が足りませんでした。
余裕を持って行くことをオススメします。