「オンライン演劇」の行き着く先って「映画」なのでは?
劇場で公演できない演劇人たちが動画で何かできないか模索してる中、空気壊すかもしれないんですが、どうしても気になるので書き留めておきます。
「オンライン演劇」の行き着く先って、「映画」なんじゃないでしょうか。
映像の技術が存在しなかった頃
役者が表現する場は舞台しかありませんでした。
技術が発明された後、メジャー度はあっという間に映像に抜かれました。
- 映画は再利用できる
- テレビがあれば家で観られる
- 今やスマホで観られる
のですから当然です。
鑑賞のし易さに加えて、撮影・編集の技術もどんどん洗練されていきました。
一方、舞台は死んでしまったわけではなく、ライブでの表現を愛する表現者と観客によって生かされてきました。
舞台ならではの技術も開発されています。
今のところ
オンライン演劇は、
「なるほど、そうきたか!」
「つらい中よく頑張ってるね」
そんな感じで歓迎されている雰囲気です。
これ、いつまで続くでしょうか。
ダルい上司との打ち合わせ回避方法良いwpic.twitter.com/3veIR4AMNo
— 広屋佑規 / Out Of Theater (@hiroyayuki) 2020年4月26日
この作品とかすごく面白いですけど、これは「演劇」ですか?
演劇人がやっているから「オンライン演劇」と言っているだけで、普通に「映像作品」なのでは?
陣内智則さんのネタに近いものがあります。
どうしたって劇場は使えないわけですから映像でやれる表現はどんどん研究したらいいと思うのですが、映像の技術は有り体に言って「開発済み」であり、「最高峰のオンライン演劇」はきっと「映画みたい」になるはずです。
録画でなく生配信にこだわることで確かにライブ感は生まれますが、生放送は普通に何十年もテレビがやってきたことです。
「演劇人は映像やめろ」
という話ではありません。
これも演劇なんだと言い張ることで、演劇本来の良さを忘れてしまいやしないかという話です。
飲食店が続々とテイクアウトに切り替えていますが、「イートイン風弁当」なんて言いませんよね。
イートイン要素はないのだから当たり前です。
「オンライン演劇」は、イートイン風弁当みたいに、実態を伴っていない呼称だと思えてならないのです。
以前の記事で
「いつまでも劇場でしか感じ取れないものに固執していていいのか」と書きましたが、
moriyamatomohito.hatenablog.com
撤回します。
ごめんなさい。(どんどん配信したらいいという話は撤回しません)
演劇はライブが一番です。
そうでないなら、映像に吸収される運命です。
というか、すでにほぼ吸収されており、ライブの良さをよく知る人たちによって残されていると言ったほうが正しいかもしれません。
同じ記事で「音楽はCDやYouTubeを受け入れた」と書きましたが、それは全体として見ればの話であって、音楽を心から愛する人はきっと今もライブにこだわっているはずです。
いま、役者さんたちの協力を得て制作している「リレー朗読」は、普通に「映像作品」です。
演劇で培ったものを使っていますが、「演劇」を名乗るつもりはありません。
舞台役者には舞台に立ちたがってほしい
横内謙介さんは4月8日のブログで、ネット演劇を「延命措置」と書かれていました。
「ネット演劇の可能性は次の世代の人たちに託したい。私は、そういう延命措置を断り、生身の人間たちが集まり、集める、伝統的劇場に殉じて、この演劇人生を閉ざしたいと思う」https://t.co/otyQjxXlGb
— 森山智仁 (@bacoyama) 2020年4月9日
すごい文章を読んでしまった。
外出を自粛しながら役者が表現活動を続けるには映像しかないわけですが、「舞台に立ちたい」という気持ちをみんなが忘れてしまったら、きっとその時こそ本当の「#演劇の死」です。