こだわりを捨てよ、金を得よう
同じ表現を何度も使うことが許せないおじさんです。
一つの段落内はもちろん、一つの章、あるいは作品をまたいででも、同じ表現が頻発すると作者の語彙を疑います。
自分の語彙も疑っています。
劇団バッコスの祭の公演では幾度となく「ご武運を」というセリフが使われました。
(しかも団員に指摘されるまで気づきませんでした)
決戦シーン直前の判を捺したような「ご武運を」。
笑えない笑い話です。
あと、使い古された表現も好きではありません。
漫画『働きマン』で「着の身着のままの生活を余儀なくされた」という言葉が恥ずかしいという話が出てきた時、赤べこのように頷きまくったものです。
語彙とは画素数です。
観察力であり伝達力であり、豊かさです。
ペラッペラの語彙では表層しか表現できません。
でも、「作品」でなかったり、読者が表層しか求めていない場合、語彙へのこだわりは邪魔なものでしかないのです。
たとえば、僕は海老の食感を表現する時に99%使われる「ぷりぷり」に抵抗があります。
猫も杓子もぷりっぷり。
ぷりぷり以外に何か表現ないんかとずっと思っています。
でも、「ぷりぷり」以外に海老のぷりぷり感(ちくしょおおお)を伝えられる表現はなかなか見つかりません。
というか、仮に何か見つかったとしても、読者や視聴者には「ぷりぷり」のほうが伝わりやすいでしょう。
グルメ小説ならいざ知らず、ただの食レポでぷりぷり以外の表現を必死になって探すのは徒労という他ありません。
あとは、作品紹介で「個性豊かな」というのが嫌いです。
人間が複数出てくれば個性豊かなのは当たり前だし、登場人物のキャラが立っているというのはごく当たり前のことであって、作品固有の魅力とは言えません。
あまりにも自明過ぎるのです。
回転寿司を表現するのに「いろんなネタが食べられる」と書くのと同じぐらい、新しい情報を一切伝えていません。
が、この話も「ぷりぷり」と同じです。
普通はそこまで独創性を求められません。
ベタでも「個性豊かな」でいいのです。
一度使った表現や使い古された表現を排除しようとすると劇的に筆が遅くなります。
ライターを始めたばかりの頃、自分の「作家性」に振り回されて、ずいぶん無駄な時間を使いました。
好きを仕事にした(?)弊害です。
要求されていないことを頑張るべき局面もないではないはずですが、明らかにその時ではありませんでした。
もちろん、息をするように新しい表現を次々打ち出していけるのが理想です。
けれども、表現の重複や陳腐さを嫌っているのが僕一人かせいぜい数名で、大半の読者やクライアントがどうでもいいと思っているなら、どうでもいいが結論です。
自分の「作品」では絶対にやりたくありませんが、「仕事」なら、海老の食感はぷりぷりと書き、作品紹介には個性豊かなと書きます。
限られたMPは作品に使う所存です。