それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

日本縦走怪我日記

日本縦走の途中で腰をやりました。

moriyamatomohito.hatenablog.com

 

喉元過ぎれば何とやら。

治ってしまったらきれいさっぱり忘れてしまうだろうと踏んで、停滞中、メモを残していました。

歩きの長旅をこれから計画される方の参考になれば幸いです。

荷物の重さは水・食料を除いて14kgほどでした。

 

4/21(金)

別府から佐賀関に向かって下界を31kmほど歩いていました。

この時考えていたことは以下の通りです。

  • 九州は全部計画通りやれて良かった
  • 四国も頑張るぞ
  • さすがにちょっと腰回りに疲労感がある
  • 明日を休養日にしておいて丁度良かった

しかし、実のところ「丁度良かった」というのは勘違い。

根本的に休養のタイミングが間違っていて、もっと早く休むべきでした。

具体的には湯布院か、せめて別府で休んでおけば、怪我は避けられたかもしれません。

事前のリハーサルで5日間歩き続けても平気だったことから、「まぁだいたい週1で休めば大丈夫だろう」と見ていたのですが、必ず何日おきに休むという基準は設けておらず、この日で連続行動10日目でした。

 

 

ホテルで荷物を置き、シャワーを浴びて、足を拭こうと屈んだ時です。

「あっ」

腰に雷光。

やってしまいました。

この動作さえなければ事なきを得たのではと思う節もありますが、限界を知るタイミングとしてはベストだったとも言えます。

もし山の上でやっていたら大勢の人を巻き込む惨事になっていた可能性もあり、大変反省しています。

 

直後の痛みは「常時」でした。

よたよたと歩いて、夕食の際、フロントに延泊の可否を確認。

2泊は延ばせると聞き、いったん保留。

寝返りにも難儀しつつ就寝。

 

4/22(土)

朝、いてぇや(・∀・)

これはもうダメです。

計画の変更が確定しました。

 

フロントに2泊の延泊を申し込み、近くの良さげな整骨院を検索。

健笑堂接骨院鶴崎院を電話予約して、ホテル近くのバス停からバスで向かおうとするも、ネット上の時刻表が古く、間に合うバス無し。

幸崎駅まで歩けばちょうど電車があったので、ゆ〜っくり歩いて乗車。

 

 

健笑堂さんで、どうやら仙骨と第五腰椎の間の関節を痛めているらしいと診断。

電気治療や周辺の筋肉を緩める施術やテーピングなどをしていただき、少し楽に。

日本縦断中の身であり、なる早で行動再開したいことは伝えた上で、ひとまず2日後(月曜)の診察を予約。

この時点では、最速で火曜に出発することを考えていました。

 

ホテルに戻って氷を貰い、2時間おきぐらいにアイシング。

風呂はやめておいて就寝。

 

4/23(日)

ホテルに終日こもり、アイシングをしながら、ライターの仕事や動画の編集作業。

一応、少しずつ痛みは軽くなってきましたが、明後日からまたすべての荷物を担いで歩く姿はイメージできませんでした。

 

夕方頃、計画の大幅変更を決定。

4/29(土)までの歩行計画をすべて破棄し、予約していた宿にキャンセルの連絡。

何ヶ所かは予約不能のキャンプ場を使う予定だったので、そこは連絡無しでOK。

4/30(日)前泊→5/1(月)登頂の石鎚山登山から元の計画に復帰するつもりで、4/25(火)から整骨院近くの温泉宿を3泊、4/28(金)から松山駅近くのビジホを2泊で予約しました。

 

4/24(月)

朝、確認しておいたバスで整骨院へ。

この近くに宿を取り、金曜の朝までは通うことを伝えました。

動かすとまだ痛みあり。

さすがに来月には復帰せんとまずいぞという気持ちと、本当に復帰できるだろうかという不安が半々でした。

ホテルに戻り、午後はまた動画編集。

 

4/25(火)

フロントで台車をお借りして、慎重に荷物を運び出し、チェックアウト。

次の宿のチェックイン時刻のタクシーが来るまで、ロビーあたりで待たせていただきました。

ホテルAZ大分幸崎店の皆さん、色々とご親切にありがとうございました。

 

待たせていただいている間も動画編集。

それと、今後の計画の修正を行いました。

今回、10日目に怪我をしたことから、連続行動は最長でも8日間までと設定。

元々は「だいたい週1で休む」としながらも、タイミングより立地を優先し、安い宿や便利な土地に着くまで歩き続ける計画になっていました。

 

タクシーに乗って、鶴崎ホテルへ。

贅沢し過ぎではとも思いましたが、この運搬で悪化させたら振り出しに戻ってしまいます。

チェックインでも台車をお借りし、これから3泊過ごす部屋へ。

合宿等以外で1つの宿に3泊もしたのは初めてかもしれません。

 

夕方に接骨院。

先生に勧められてコルセットを買いました。

メイン盾来た、これで勝つる!

 

せっかくの天然温泉掛け流しの宿ですが、あまり温めるのは良くないので、長湯は控えてアイシング。

運動不足が続き、体重は当然増えてしまったものの、夜早めに寝て日の出頃に起きるリズムが最後まで崩れなかったのは僥倖でした。

 

4/26(水)

朝の作業でやっと動画編集を終えました。

4/22(土)に終わるはずだった作業です。

通院で時間を使ったとは言え、編集は元のスケジュールじゃ間に合わなかった説が浮上。

まぁ、計16日分の容量だった(ので2分割)のもあるはずで、計画を修正して休養日を増やしたことで、動画の問題も解決に向かうでしょう。

 

その動画:

youtu.be

 

11:00に診察。

回復率は6〜7割、週末の行動再開にはギリギリ間に合いそうとのことでした。

 

この機会に散髪をしておき、乙津川沿いを少し散歩。

なにげなく「毛利空桑記念館」の立て看板を読んでいたら、見覚えのある名前が!

亀井昭陽。

以前、広瀬淡窓という幕末の学者を主人公にして小説を書いたことがあり、空桑は亀井門下でその後輩に当たる人物でした。

 

kakuyomu.jp

 

奇遇なこともあるものだと思いながら見学。

淡窓が学問の人だったのに対し、空桑は文武両道で、武のほうにかなり力を入れていたのが印象的でした。

 

宿に戻って、スケジュール修正の続きと宿の予約。

気づいたら夜になっていました。

泊まりがけの旅の計画を立てたことがある方はおわかりになると思いますが、あれを半年分もやるわけですから結構大変です。

懸念材料だったお盆の先まで計画がまとまって一安心。

1日でもズレたら全部破綻するので、お盆だけ先に取るわけにはいかず、手前から順に組んでいきました。

 

なお、出発の直前、3月末時点で5月末あたりまでの予約を取ってありました。

あまり先だとまだ予約受付を開始していないところもあるし、何かあった時の修正が大変になると見て、だいたい2ヶ月先までを目安に予約を進めていました。

まさに「何かあった」ということになります。

 

4/27(木)

もう痛みはほとんど無し。

診察で「明日の最後一回は軽いやつで良さそう」と言われ、一安心。

 

リハビリとして荷物無しで「高尾山自然公園」まで往復約12kmを歩いてみました。

荷物無しなら問題無し。

 

 

宿に戻ってライター業と計画の修正の続き。

8月下旬に無茶苦茶な部分を発見。

公共交通機関によるショートカットは霧島〜熊本と、本州の某区間、北海道上陸までは2回だけのつもりでしたが、もう1回増やすことにしました。

怪我による四国のショートカットも加えると4回となり、ほぼ徒歩という宣言が痩せ細っていくのを感じますが、現実を受け止めるより他ありません。

 

4/28(金)

久々に荷物を担ぐ瞬間はさすがに緊張しました。

ベッドにザックを置いて腕を通し、変な力がかからないよう、手で支えながらそっと起立。

大……丈……夫!

思ったより重くない。

 

チェックアウトして、最後の診察。

お世話になりました。

佐賀関行きのバスは10分強遅れて到着。

道が混んでいるなと思ったら、世間はこれからゴールデンウィークでしたね。

 

11:45頃、佐賀関に到着。

食堂でりゅうきゅう丼を食べ、13:00のフェリーで四国へ。

 

 

14:10頃、三崎港に到着。

15:30から約3時間、バスに揺られ、松山のホテルにチェックインしました。

 

4/29(土)

石手川沿い→石手寺→道後公園→松山城をゆるゆると散歩。

 

 

雨なのに松山城はぼちぼちの人手で、三之丸跡広場のイベントの歓声が賑やかに聴こえてきました。

コンビニで石鎚山からの2日分の食糧を購入。

 

ホテルに戻って、宿で仕事と動画編集と宿の予約。

青森まで概ね取り終わって、再修正とならないことを祈るばかりです。

 

4/30(日)

怪我に伴う特別行程は今日まで。

明日からフル装備での山行・下界歩きを再開します。

 

翌日〆切の仕事を終わらせ、10:00チェックアウト。

愛媛県美術館や、三之丸跡広場でやっていたフラダンスを見るなどして、松山駅前へ。

重いとか痛いではない……けれど、荷物を下ろした時に腰に触れてみると、ごく微弱な熱。

まだ完治ではないようです。

 

駅のダイソーで冷えピタ的なものを買い、トイレで貼って、12:50の久万高原行きのバスに乗車。

久万中学校前で下りて、久万営業所から石鎚土小屋行きに乗り換え。

16:00、国民宿舎石鎚にチェックインしました。

 

 

ちなみに、元の計画では、松山には寄らず、三崎港から下界を1週間かけて国民宿舎石鎚まで歩く予定でした。

 

5/1(月)

5:30行動開始。

しっかりめに休むことを心がけました。

普段は「有酸素状態が切れないこと」を優先して、ごく短い立ち休みに留めていたのを、座れるなら座って「負荷がある程度放散するまで待つ」イメージです。

 

行動開始から30分後、最初のベンチでいきなりワンおにぎり、次の次のベンチでお弁当を完食。

二の鎖の下でザックをデポする時も一休みして、戻ってきて回収する時も一休み、成就社でうどん食った後も長めに休憩。

自分としては相当しつこく休みを取りました。

 

 

完治ではない感覚は残るものの、とりあえず無事下りてこられました。

怪我がすっかり治っても、今までより落ち着いて休みを取ったほうがいいのかもしれません。

 

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