批判からは本当に何も生まれないのだろうか
何かの売り文句に「賛否両論」という表現を使う動機は大きく二つに分かれると考えられます。
① 「じゃあ自分はどうだろう?」と興味を持たせたい
② ぶっちゃけ批判的な意見が多いのをごまかしたい
このうち②は消極的な動機ですが、宣伝担当は魅力を伝えなければならないのだから仕方ありません。
ポプテピピックがヒットしたのは例外中の例外です。
宣伝が「クソです!」と売り出したら「クソならいらんわ」となるのが普通でしょう。
そして①は、一応積極的な動機ですが、僕はひどく珍妙な売り文句だと思っています
なぜなら、あらゆる商品・作品はデフォルトで賛否両論のはずだからです。
90%が褒めても10%は叩きますし、99%が批判しても1%は擁護します。
賛否両論というと60%:40%ぐらいのイメージかもしれませんが、厳密な線引きなどありません。
それに、アンケート調査では批判的な声が大多数を占めても、その数値を表に出さず、好意的なツイートと批判的なツイートを同数拾ってきて並べれば「賛否両論」風を演出できます。
つまり、賛否両論という表現は「当たり前」だし「どうとでもなる」から何も情報を伝えていないに等しいのです。
とは言え、最近「賛否両論」という売り文句は(体感で)減ってきました。
むしろ「とにかく褒める声だけを上げていこうぜ」という風潮を感じます。
ポプテにもこういう作品がありますね。
批判からは何も生まれない。
ただ人を傷つけるだけ。
一見ごもっともなんですが。
A
- サイコー!
- 神!!
- 見逃し厳禁!!!!
- 尊すぎてしんどい
B
- サイコー!
- 神!!
- ○○については××という意見もある
- 尊すぎてしんどい
AとB、どっちのほうが魅力的に聴こえますか?
二択だったらきっとAのほうが売れるでしょう。
でも「全部のレビューがAみたいなのばっかり」だったら?
大絶賛ばかりでないほうが圧倒的に信用できる――批判が混ざっていたほうが肯定的な声の信頼度も上がる――と、僕は思うのです。
あと、批判が許されない環境だと作り手が甘えて水準がどんどん下がっていくという危惧もあります。
ちなみにこの記事が投稿される時刻は絶賛NovelJam2018の真っ最中ですが、サボっているわけではなく予約投稿ですのでご心配なく(・∀・)