脚本のセリフが言いにくい時、役者はどうすればいいのか
先日の演技ワークショップの後の懇親会で、作家さんから役者さんに、
「脚本に言いにくいセリフがあった時はどうするか?」
という質問がありました。(※DramaJamの作家さんが参加していました)
回答は、
「我慢してそのまま言う」
「稽古で一度言いやすい形に変えて言ってみて、ダメと言われたら従う」
の二種でした。
他にも、
「稽古でいきなり言うのでなく相談してみる」
「ダメと言われても食い下がる」
という人もいると思います。
言いにくいのは誰の責任なのか
上の問答から導き出せるのは、
- 役者はしばしばセリフを言いにくいと思っている
ということです。
9割方は脚本の責任だと僕は考えています。
- 口語として不自然(例:現代の若い女性が「わよ」口調)
- 動機がない(物語を進行させることが動機になっている)
- 感情の流れがおかしい(例:怒りを忘れるのが明らかに早過ぎる)
- 口語として自然で動機も感情の流れもおかしくないが役者の持っている言語パターンと相性が悪い
このように、言いにくい原因は色々考えられますが、役者が悪いのは4だけです。
1〜3に問題がないなら単に役者の引き出しが少ないということなので、脚本を変えさせるのはわがままというものです。
1〜3のキズは小劇場では頻繁に見かけます。
「役者は我慢しとるんやろなあ」と思っています。
じゃあお前の脚本は完璧なのかと怒られそうですが、少なくとも僕は「虚構だから何でもアリ」とは考えておらず、稽古場で問題点が発覚したらその都度修正しています。
口語として自然か否かは誰が決めるのか?
これはもう「大衆」としか言いようがないです。
何故なら口語は大衆の中で変化していくものだからです。
大衆の8割は自然かどうかをあまり気にしていません。
しかしそのうち5割強はできれば自然なほうが良いと思っているはずです。
これらの数字は何の根拠もない直感ですが、僕が知る限り、媒体を問わず、広く評価された作品のセリフが口語として不自然ということは少ないです。
セリフが自然であるというのは加点項目ではなく前提条件なのです。
繰り返しになりますが、どんな口語が自然であるかは時代や地域によって変化します。
具体的には、日本の現代劇でなければ「わよ」口調もアリと考えています。
若い女性がわよを言わなくなったのはごく最近の現象であり(うちの母親世代は普通に言います)、ファンタジーや翻訳物なら別に不自然ではありません。
感情の流れが自然かどうかはキャラクター次第ではないのか?
その通りです。
一見辻褄が合っていないようでも、作家が「この人物はここでこのセリフを言うんだ」と決めたら、その世界ではそうなります。
そして、人間はしばしば辻褄の合わない行動を取るものであり、最適・合理的でないからといって不自然だと決めつけるのは早計です。
ただ、役者が「不自然では?」と思ったなら、客席の少なくとも2〜3割は同じように思っているはずです。
というわけで、
脚本のセリフが言いにくい時、役者はどうすればいいのか
に対する回答は、「我慢せず脚本家に相談したほうがいい」となります。