それにしても語彙が欲しい

脚本家/フリーライター・森山智仁のブログです。ほぼ登山ブログになってしまいました。

駅前劇場の公演中止の件について

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駅前劇場での公演中止の件、各団体の文章を読みました。

 

水素74%

【お詫び】水素74%「ロマン」東京公演中止のお知らせ(2018.8.7)
2018年8月9日〜13日に下北沢駅前劇場で予定しておりました水素74%「ロマン」につきまして、東京公演の上演中止を決定いたしました。
台本完成の遅れに伴い、稽古時間が十分に取れず、皆様にお見せすることが難しいと判断したためです。
このような事態を引き起こしてしまい誠に申し訳ありません。 俳優、スタッフ、その他関係者の落ち度はなにもありません。全て主宰・田川啓介の責任でございます。 改めて出演者及び関係者の皆様にお詫び申し上げます。
チケットをご予約いただき、公演を楽しみにされていた皆様には心よりお詫び申し上げます。

 

Mrs.fictions

 今回、予定していた公演『月がとっても睨むから』の上演を会場・時期未定で延期させて頂いたことについて、心よりお詫び申し上げます。

 上演延期の理由は端的に申し上げてただ一点、私の戯曲執筆の遅さに尽きます。タイトルの通り月に睨まれているような罪悪感を背に受けこの数ヵ月試行錯誤を重ねて参りましたが、ようやく光明を見出したと同時に、このテーマを描くにはさらに登場人物全員を深く掘り下げる必要があること、そしてその為には残された時間が足りないことを痛感しました。
 私は筆うんこ(筆が遅いという意味の造語です。遅筆というと変に格好良く聞こえがちなので自分には使いません)なので、この数年間の作品はほぼすべてギリギリの状態で書き続け、今回こそ絶対に間に合わないと確信しながら(何故か)奇跡的に完本し、すべての人の助けを借りて(何故か)上演が成立する、の繰り返しでした。
 結果はともかくこの作り方は駄目だ(死ぬから)、最後にこの一回だけ乗り切って次からは創作体制を考え直そうぜと高らかに宣言した10周年イヤーの締めくくり、5年ぶり4度目の単独長編公演という最高のタイミングで派手にすっ転んだ私達の可愛らしさをどうぞ笑ってやって下さい。
 元々書きたいことの玉数も少ない人間なので、残りの生涯で長編として書いておきたいのは今のところ本作『月がとっても睨むから』と、未来の芸術系大学を舞台にした『仮名手本・人造人間キカイダー(仮)』の2本だけです。今回はその数少ない1本をどうしてもより良い形で送り出したいという、私だけの身勝手なわがままをメンバーに伝え、そのままMrs.fictionsのわがままとして役者さんとスタッフさんに受け入れて頂いた次第です。

 今回「上演中止」ではなくあくまで「上演延期」とちょっと往生際の悪い表現にさせて頂いたのは、今もって恐ろしい程にポジティブなモチベーションを保ち続けてくれている役者陣と、この舞台の為に素晴らしいプランを用意してくれたスタッフ陣、誰一人として欠けることなく同じ形で上演したいという気持ちの表れです。もちろん延期の時期が未定な以上、様々な事情が出てくるかとは思いますが、そう遠くない未来に必ず実現したいと思っています。

 最後に今一度、お盆の予定を空けて当公演を楽しみにして下さっていたお客様には本当に申し訳ありませんでした。予定している振替イベントと今後のより良い作品づくりでお返しして参りますので、これからもMrs.fictionsをどうぞよろしくお願い致します。


Mrs.fictions 中嶋康太

 

「台本の完成が本番ギリだった」みたいなエピソードは笑い話あるいは武勇伝としてよく耳にしていたので、「むしろ今までよく起きなかったな」という感想です。

起きていたのを知らなかっただけかもしれませんが。

 

脚本家として発言します 

本件に関して演劇関係者があまり強く言わないというツイートがありました。

 

僕は今でもフリーで脚本を書いていますが、かつては劇団(バッコスの祭)の脚本家でした。

  • 決して高みへ行けた劇団ではありませんでしたが
  • ほとんどの公演で稽古初日に初版を間に合わせていたので

今から偉そうなことを言います。

 

なお、これは両劇団への攻撃でなく、一般論としてお受け取りください。*1

本件については、もうどう見ても間に合わないなら、急ごしらえの舞台で代金を取るよりはいくぶんか筋の通った判断だったと思っています。

 

遅筆とはただの甘えである

演劇の世界には、

①脚本家は納得いくまで時間をかけていい

②脚本が遅れても「俺たちが支えるぞ!」みたいな連帯感が生まれるから大丈夫

メンタルが不安定なほうがアーティストっぽい

という謎の風潮があります。

少なくとも僕はそういうものがあると思っています。

 

①は、ただ単に、プロとしてあり得ない考え方です。

井上ひさし先生や冨樫義博先生みたいな怪物の存在を盾にして逃げているだけです。

脚本家以外の全関係者がプロとして納期に間に合わせようとしている中、なぜ脚本家だけが保護されているのでしょうか。

 

②は、実際そういう側面があるから困りものです。

キャストやスタッフは本当に協力的で素敵な人間が多いです。

なぜなら、みんな観客により良いものを見せたいと思っているからです。

脚本が遅いという「緊急事態」にも、一致団結して対処してくれます。

これは完全に憶測ですが、遅筆の作家の中にはこの連帯感を見越して怠けている人がいる気がします。

 

③は、自称安定感のある物書きとしては実に厄介な風潮です。

(自分で立てた仮説に向かって厄介とかいうのもアレですね)

精神的な不安定さを執筆に活かすスタイルを否定するわけではありませんが、他人を巻き込んでいる以上、自分をコントロールするのも仕事のうちです。

追い詰められて焦りながらじゃないと書けないんだとか言う人は、今すぐ劇団の脚本家を辞めるべきです。

戯曲賞とかシナリオ募集とか、〆切に間に合わなくても他人に迷惑がかからない道がいくらでもあります。

というか、演劇でなくてもいいのかもしれません。

 

「苦しむ」と「サボる」は紙一重である

脚本家がどんな風に苦しいのかは本人にしかわかりません。

だから周りは、

「つらいよね」

「待ってるよ」

としか言えないわけですが、

  • 実は周りが思うほどは苦しんでいない

ということがあり得ると、元座付き作家の立場から証言します。

(だからオメーは売れなかったんだよという批判は当たっている可能性があります)

 

例えば、とりあえずいったん落ち着くためにモンハンをするみたいな【死に時間】が発生している可能性があります。

しかし周りは「遊んでんじゃないの」なんて絶対言いませんし、本人も遊んでましたなんて口が裂けても言いません。

でも僕はただ書きゃいいだけのところモンハンやってたことが複数回あります。

 

モンハンで本当に気持ちが落ち着いて書けるようになるなら何の問題もありません。

でも、現実逃避と解決策はまったくの別物です。

 

行き詰まった時の対処法

執筆が行き詰まるというのは大きく二通りに分けられると考えています。

①思いつかない

②何か気がかりなことがあって集中できない

 

いずれも対処法は極めてシンプルです。

①は、リサーチやインプットが足りないだけのこと。

②は、その用事を先に済ませるだけのことです。

 

特に②が重要です。

脚本家は「今は脚本があるからそれどころじゃない」と、雑事を後回しにしがちなのですが、ぜひ雑事を先に済ませてください。

人に迷惑がかからないし頭がスッキリするしいいことづくめです。

 

なんて、偉そうに言っていますが、僕も昔は創作最優先をふりかざしたポンコツで、若い劇団員たちに大きな負担を強いていました。

本当にすまないことをしたと今では思っています。

 

*1:Mrs.fictionsの中嶋さんの謝罪文はさすがに良くないと思います。

この期に及んで「可愛らしさ」って、何それ……