品質改善と広告宣伝のバランスについて

総予算100万円の演劇公演があったとします。
ここに、ひょんなことから追加で10万円使えることになりました。
何に使うべきでしょうか?
- チケット料金を下げる
- チケットバックを上げる
といった、現実的に喜ばれる選択は置いといて、
- 舞台装置や機材の追加
- 広告宣伝の追加
この二択ならどちらが良いでしょうか。
演劇人の大半が後者を選ぶと思います。
前者を選ぶのは少数派でしょう。
「とにかく見てもらわないと話にならない」
これは演劇のみならず、小説・漫画・ゲーム・アニメ・動画、あらゆる表現において言えることです。
そして、webを中心に広告宣伝の手段が増えた一方で、余暇の過ごし方が多様化し、表現活動を行う人も増え、集客は昔より難しくなっています。
僕がライターとして関わっている業界も多様化の影響(等)を受けて年々縮小しています。
登山は現在進行形で人気のレジャーに見えますが、少し歩き回るだけで閉鎖された山小屋・茶店をあちこちに見かけ、全盛期の頃に比べれば相当縮小しているのだろうと察せられます。
みんなが同じ(選択肢の少ない)時間の使い方をしている頃は、宣伝は楽でした。
極端な話、その町にイオンしかないなら、折り込みチラシなんて入れなくてもみんなイオンに来るはずです。
それが、いろんなお店が増えて、時間の奪い合いが始まりました。
多様化は、個人の中においても起こり得ます。
つまり趣味を掛け持ちする人も増えているはずです。
すると何が起こるでしょうか。
所要時間の長いレジャーは基本的に不利となります。
観劇は移動時間も含めてかなり重いレジャーであり、圧倒的に不利です。
ここで冒頭の「10万円を何に使うべきか」に戻ります。
集客が難しいからこそ、宣伝にリソースを割くべき?
それも間違ってはいないかもしれませんが、では予算10万円で費用対効果の高い宣伝手段をご存知でしょうか。
「効果あるかわかんないけどとにかくやってみるしかない」
そんな考えで使ってしまうのは業者のカモです。
中途半端な広告しか打てないなら、品質に投資して、口コミで跳ねる確率を1%でも上げたほうがまだマシではないでしょうか。
お金だけでなく
「時間」や「精神力」も、宣伝にどれぐらい割くかのバランスは悩みどころです。
例えば、Twitterで小説の宣伝をしているヒマや元気があるなら、小説の続きを140字書くべきではないでしょうか。
しかし出版社が宣伝をしてくれる立場でもない限り、誰かに読んでもらうには、自分である程度頑張るしかありません。
それが「どの程度」なのかという問題です。
宣伝を頑張らなくていい表現媒体
それがYouTubeです。
詳しい説明は伏せますが、YouTubeは外部に宣伝手段を何も持たない投稿者でも再生数が伸び得るような仕組みになっています。
その仕組みを理解しないまま根気だけで頑張っても跳ねる可能性はかなり低いのですが、とにかく素寒貧にもチャンスはあるわけです。
宣伝が苦手な人、「宣伝を打つ余力があるなら少しでも内容を改良すべきでは」と考えてしまう人にとっては、大変ありがたい仕様です。
もっとも、その仕様に合わせて工夫するのはある意味「宣伝を頑張っている」ということになるのかもしれません。
とは言え、従来、
「こんなことやってます!」
「見に来てください!」
だったのが、
「こんなことやってます!」
だけで良くなったのは飛躍的な進歩と言えます。
宣伝が苦手な人種は、この「見に来てください!」の一言が絶望的に苦手なのです。
同じ人がやっているとは思えない二つの動画
以下はどちらも僕が投稿している「ゆっくり実況」を採用した動画です。
再生数は現時点で30倍近い差、シリーズ内のモノによっては300倍近い差がついています。
両者ともTwitterの本垢(もはや本垢じゃないかもしれない)では一切宣伝していません。
後者は登山垢で一回だけ宣伝しましたが、Twitter経由で再生されたのはごくわずかです。
この比較だけを見ても「(従来の意味で)宣伝を頑張らなくていい」ということがおわかりいただけるかと思います。