新刊『白夜と空葬い』のご案内
表紙に合わせて内容を書く「架空小説執筆計画」第一弾が完遂しました。
作品紹介
夏の北極圏は光であふれている。
夜も沈まぬ太陽が照らす茫々たる雪原、銀色の山肌、イヌイットの家々。
海原は凍てつき、気まぐれに砕け散る。
そんな白夜の世界へ、日本の元児童福祉司が旅立つ理由とは――
BCCKSにて税込330円で発売中。
他の電子書籍ストアでも近日配本予定です。
最近登山に打ち込んでいたのは
この作品を書くためでした。
わずか3回ですが、この経験は執筆にたいへん役立ちました。
今後も登山は続けていくつもりです。
タチヨミ
BCCKSでも立ち読み可能ですが正直ちょっと読みづらいと思うので、ここで序盤を公開します。
続きが気になったらぜひ製品をお手に取ってみてください。
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そこは大きなアーケードの中にある全国チェーンのラーメン屋で、虐待の話をするのに相応しい場所とは言えなかった。
「やめとけ」
てっきり了承してくれるものと思っていたから、何と言っていいかわからず、私は続く言葉を待った。
「お前がやめておいたほうがいい理由は二つある」
その言い方は、意外ではなかった。
弓削はすぐ二つに分ける。高校時代からの癖だ。
「一つは、危険だからだ」
「だからやり方を教えてほしいんだけど」
「太刀原は何もわかってない」
「わかってないことはわかってる。なんでそんなに頭ごなしなの?」
「ただ北極圏を歩きたいって話ならまだ応援できた。白夜の中を歩きたいってコンセプトがズレてる。あの季節が一番危険だ」
「どうして?」
「雪や氷が解ける。つまり、足場が不安定になる」
ピシリ。
脳内で、足元の氷にひびが走った。
そういうことか。極寒の地だから少しでも暖かいほうがいいと思い込んでいた。
「はっきり言って寒いほうがありがたい。寒さは対策できるし、慣れる。雪が緩むとソリは重くなるし、海氷が割れれば当然海に落ちる」
「……」
「下に氷が張ってないのに、雪で隠されてるところもあるんだ。しかもそういう場所は決まって海流が強いから、落ちたらあっという間に流される。二〇一五年には二人組のオランダ人冒険家が落水して死んだ。一人の遺体は結局見つかってない」
「それは、白夜の季節に起きたことじゃないよね?」
「もちろん。温暖化のせいで極地の海氷は年々不安定になってるんだ。白夜が拝みたいならノルウェーか南極のツアーを探せ。金はあるんだろ?」
「観光がしたいわけじゃない」
「趣旨は理解した。その上で、もう一つの理由だ。金を無駄にするな」
「そう言われるとは思ってた」
「そういう活動をしてる団体に寄付するなり、自分で立ち上げるなり、いくらでもあるよな。お前が遺影を抱えて極地を歩いても、この世から虐待は減らない。自己満足だ」
そうだよ。自己満足。わかってる。
「反論はしない。自己満足だと思う」
「自覚があるならなおさらやめとけ。意味がない。絶対後悔する」
「弓削君が極地を歩くのは?」
「元々は自己満足だった。今はスポンサーもついてる。お前がやろうとしてることは本当に自己満足の自己完結だ。大金かけて遺影運んで、死んだ人間が喜ぶと思うか?」
ああ、こいつのこういうとこ、ホント変わらないな。
「人間、死んだら終わりだ。だから俺たちプロは死なないように万全を期す。悪いことは言わない、ツアーを探せ」
「命懸けじゃなきゃ意味がないの」
「言いたいことはわかる。俺たちもヘリを飛ばせば一瞬で行けるところにわざわざ自力で行くんだからな。でも、せめて楽しめよ。太刀原は今、貯金をはたいてわざわざ苦しもうとしてる」
「探検は楽しい?」
「目的地に着いたらすぐ、次はどこへ行こうって考え始める。それぐらいには楽しい。ただ、歩いてる間は正直苦しい。なんで俺こんなことしてんだってしょっちゅう思う」
だったら。
「私はそれがしたい」
「……まさか、死のうとしてるんじゃないだろうな」
「違うよ。だから、ちゃんとしたやり方を教えてほしかったんだけど」
「俺は協力できない。何か他にないのか?」
「他にって?」
「せめてその子が将来やりたがってたこととか」
「……何がしたかっただろうね」
「……」
「そんなこと考える余裕なんてなかったと思う。普通に生きていきたかったはず。普通に生きるのが極端に難しくなる。そういうことを、あの子は自分の父親からされた」
「太刀原が何をしても、なかったことにはできない」
「そうだよ。だから、許されない」
許さない。
なに平然と葬式に出てきてんだ。
お前が死なせたんだろうが。
お前が、その手で、その神妙に組んだ手でベタベタとあの子の体を触って、殺したんだろうが。
「大人と子供は違う。大人は一発やったぐらいで汚れたなんて思わないけど、それは自然とそう思うようになっただけ。精液をかけられたら汚いと思うのが当たり前」
皮膚の下、奥深くに染み込んでいる。
そんなはずはないのに。洗えば落ちるはずのものなのに、どんなに擦っても落ちない。永遠に。
常に不快で、気が狂いそうになる。
「自分の体が汚いままでずっと生きていかなきゃいけないの。わかる?」
「……」
弓削は黙ってラーメンをすすった。
きっとわかろうとはしてくれてる。でも、「わかる」とは言わない。正しい。わかるはずないから。
私だって決して正確にわかってるわけじゃない。想像してるだけ。父親が初めてベッドに入ってきた夜から自ら命を断つまでの日々を、彼女がどんな気持ちで生きていたのか。
想像しかできないけれど、私には想像が、できる。かなり鮮明に。
「食事中に変なこと言ってごめん。忠告ありがとう。自分なりにやってみる」
「やめる気はないのか」
「弓削君に許可してもらうことじゃないよね」
そう言って、私は伝票を取り、席を立った。
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