昨日見た夢の話など興味ないよね退屈だろう
スキマスイッチの『君の話』という曲は、
昨日見た夢の話など興味ない 退屈さ
から始まります。
実際、夢というのは見た本人が一番面白いものであって、その面白さを他人に伝えるのは非常に困難です。
特に難しいのが「その世界で前提となっている事柄」をシェアすることでしょう。
夢というのは往々にして、一般社会とは違う特殊なルールに支配されており、視聴者(?)は何故か最初からそれを把握しています。
夢の面白さを他人に伝えるのは、相手がルールを知らない複雑なカードゲームで起こった珍事の笑いどころを伝えるようなもので、要するに伝わりません。
不思議なもので、「稽古が全然できていないのに本番日が来てしまう夢」というのは、僕が知る限り演劇関係者のほとんどが見ているようです。
そのためこの話はあるあるネタの一つとして一瞬だけ盛り上がるのですが、厳密には「夢の中の自分がいかに焦っていたか」細かなニュアンスを伝えることは難しいはずです。
つまり、「見るよねー」で終わる話です。
夢の話を本当の意味で他人に面白がってもらうのは不可能に近いと言えます。
これは憶測ですが、芸能人とかが喋る面白い夢の話というのは、おそらく脚色されています。
脚色したかどうかなど誰にもわかりません。
大枠は実際に見たものかもしれませんが、人前に出して面白味があるように成形しているはずです。
もとい、テレビというのは報道ですらしばしば脚色する世界ですから、「これは憶測ですが」などと前置きする必要もなかったかもしれません。
そもそもどうして今日夢の話をしているかというと、
「僕は夢日記をつけていて、以前は読み返すと詳細に思い出せたのだけれど、最近読み返したら思い出せないものが結構あった」
「一時期は夢と言えば必ずといっていいほど明晰夢(これは夢だとわかって見ている夢)を見ていたのだけれど、最近はめっきり見なくなった」
「明晰夢を見なくなったり、夢日記を読み返しても思い出せなくなったりするのは、脳の衰えなのだろうか。そうではないといいのだけれど」
などということを考えていたからです。
ほらね。
そういうことを考えていたという前提が伝わっていないし、明晰夢とか夢日記の面白さも共有できていないから、ピンと来ないでしょう。
自分が面白いと思っているものを相手にも面白がってもらうのは難しいですね。
と、強引にそれっぽくまとめたところで本日は終わります。
おやすみなさい。
良い夢を(・∀・)