舞台作品の映像化について
「舞台」と「映像」の大きな違い
僕は昔から「間」にうるさい演出家でしたが、映像に手を出すようになって、「この世界の人たちの間に対する感度は舞台人の比じゃないな」と感じています。
とにかく徹底的に間をカットして、無の時間がほとんど生じないようにします。
さらに、目まぐるしく変化を起こします。
絵コンテの1カットは3秒までにする
動画の1カットの長さは基本的に3秒まで、長くても1カット5〜6秒が限度です。それ以上の長さになると動きがなく、視聴者は映像が止まっているように感じてしまうのです。原稿を考えるときも、あまり1場面に時間をかけられないと思っておいてください。
舞台には3秒で終わるシーンなんてありません。
平気で数分間、同じ絵が続きます。
そういうことが許される(言い方を変えれば、役者も観客も一つの空間から逃れられない)のが舞台の魅力だと思いますが、映像はそういうことは基本やりません。
あっさり離脱されてしまうからです。
もちろん、別にそんなハイペースじゃないのに評価が高い動画も数多くあります。
そういう動画はたいてい映像美が優れています。
つまり、時間的な間はともかく空間的な「隙間」は埋まっているわけです。
そして、時間的にも空間的にもビッシリ埋め尽くされた映像が世界中に溢れています。
舞台人が映像をやるには
普通にYouTubeで有名になりたいなら、トップクラスのYouTuber並みの密度を意識すべきでしょう。
雑な言い方をすれば「ヒカキンさんのテンポでやるしかない」ということです。
しかし、「舞台作品」を「映像化」するとなると話は変わってきます。
おそらくどんな舞台作品でも、カメラを何台も使えば、1カット6秒以内で繋げていくことはできると考えられます。
長いセリフも聞いている側の表情を見せるなどすればいいのです。
しかし、果たしてそれをやる意味はあるでしょうか?
過去の記事でも書きましたが、
moriyamatomohito.hatenablog.com
突き詰めていくとそれは「映画」です。
劇場を使っている意味はほぼなく、「ロケ地をケチっているだけ」となります。
映画の技術を勉強して機材費と人件費を投じればどんどん映画に近づけていくことはできるでしょう。
しかし、繰り返しますが映画なら劇場で撮る理由がありません。
舞台の映像化は「時間的・空間的密度を下げてでも、逃げ場のない空間であることを伝えたほうがいい」というのが、今のところの僕の意見です。
変なたとえですが、理想は謝罪会見です。
謝罪会見はカメラの切り替えなどなくても興味深く観続けられます。
というのは視聴者が「この人はこの場から逃げられない」と知っている(あるいは「逃がすものか」と思っている)からです。
――といった考えで作る動画が実際どんなものになるのか、まずは「ミックスグリム」にご期待ください(・∀・)