なぜヒトはヤマでメシをつくるのか
先週はすぎうらさんと一緒に奥多摩駅から大岳山・御岳山に登ってきました。
おはようございます。今日は奥多摩駅から大岳山・御岳山に登ります。空気ひんやり🍁 pic.twitter.com/dE7DiDkMJg
— 森山智仁 (@bacoyama) October 17, 2020
わーい(・∀・)⛰ pic.twitter.com/dWmRdiAepp
— 森山智仁 (@bacoyama) October 18, 2020
山行自体はなんということもありませんでした。
一般的にはロングルートに分類されるはずですが、あっという間に終わってしまった感じです。
だいぶ体力がついてきたのだと思います。
大岳山の山頂に
生米(?)を使って何やら高度な料理をしている、単独行のおっさんがいました。
顔はムスッとしているのですが、僕の目にはやけに楽しそうに見えました。
ヤマでメシを作るのは、
「おいしいから」
に加えて、
「難しい(のが楽しい)から」
というのもあると、最近思っています。
必然性から考えると
日帰りならパンやおにぎりで事足ります。
「体を温めなければならない」とか「何日も歩くので日持ちさせなければならない」といった事情がない限り、出来上がったものを持っていくほうが楽です。
調理道具には重量と体積があり、食材によってはゴミも出ます。
さらに言えば、調理失敗=食糧喪失というリスクさえあります。
でも、
ヤマで作ると
おいしいです(・∀・)
これはガチです。
ちょっとお湯わかして袋ラーメン作るだけでも、気分的に、とてもおいしく感じられます。
ただ、実は、パンやおにぎりもおいしいです(・∀・)
「手間」や「趣き」や「あたたかさ」といったスパイスは非常に強力ですが、「空腹」には敵いません。
※厳密には、明確な空腹感を覚えないようにちまちま補給すべきだと考えています。
それでもわざわざ作るのは
難易度を上げるため――という人が結構いるのではないでしょうか。
前人未踏の地がほぼなくなった今
プロの冒険家のチャレンジは「いかに厳しい条件で辿り着くか」ということにシフトしています。
有名なのは「単独」とか「無補給」とか「無酸素」です。
道具の進化や情報の共有によって、かつて辿り着くために必要だったものを削ぎ落としていくことが可能になりました。
人間の可能性に挑む行為と言えます。
話が急に大きくなりましたが、ヤマでメシを作るのも「条件を厳しくすること」の一種なのではないか――ということです。
意外と難しい難易度調整
ネットで検索すれば、ヤマのルートはいくらでも出てきます。
しかも親切に「初心者向け」「中級者向け」「上級者向け」と、レベルが添えられています。
ヤマケイオンラインでオリジナルのルートを組んだ場合でも、自動的に全長・累積標高差・コース定数が算出されるので、難易度は推し量れます。
注意すべき点は地図や先達の登山記録に書いてあります。
そのルートがなんぼのもんかはすぐ調べられます。
ですが、難しいのは、そのルートを自分がやれるかどうかの判断です。
初心者がいつまでも初心者なわけはなく、いずれは中級者になります。
中級者も同様にゆくゆくは上級者になります。
では、初心者はいつから中級者コースに、中級者はいつから上級者コースに挑めばいいのでしょうか?
ゲームなら試しにやってみてゲームオーバーになればいいわけですが、現実なのでやり直し不可能です。
無謀な挑戦は大金(救助費用)や命を失いかねません。
そこで、簡単に難易度を加算できるのが「調理」というわけです。
誰にでも登れる高尾山でも、切っていない食材を持っていって山頂で豚汁を作ろうとしたら、それなりに難易度が上がります。
歳を取った後のこと
僕はヤマを始めるのが遅かったので、もうそんなことを考えてしまうのです。
2020ピオレドール賞を受賞した中島健郎さんは僕とタメです。
年齢的に、僕がこのレベルに達するのはほぼ不可能と言っていいでしょう。
趣味でやりながらプロを意識するのも滑稽かもしれませんが、
「経験は蓄積していくのにやがて体は衰え始める」
というのが結構な絶望なのです。
人様に迷惑をかけないためには、衰えを受け入れ、難易度を落としていかないといけません。
ステップアップの過程で踏んだヤマに、いつか下りてくることになるでしょう。
ということ自体はプロも同じですが、僕はあまりすごいレベルまで行けないまま下りることになるわけです。
そんな未来に対して、今、「調理」にちょっとした希望を見出しています。
コースの難易度を落としても、手の込んだメシ作りをやれば充足感は補えるはずです。
今から30ウン年後、岩茸石山あたりでやたら本格的なクッキングをしているおっさんがいたら、それは僕かもしれません。
生きていればの話ですが(・∀・)