それにしても語彙が欲しい

脚本家・フリーライター森山智仁のブログです。毎週土曜or日曜(&気まぐれ)更新。

オリンピック中止の可能性について思うこと

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ニューヨーク・タイムズが中止の可能性を報じたそうで。

 

世間の(インターネッツの)声をまとめると、

  • できるわけないだろ
  • 何を今さら
  • 知ってた

といったところでしょうか。

 

JOCや国内メディアが発信したわけでもないのにこれだけ盛り上がるあたり、アメリカさんの強さを感じます。

 

テレビはこれまで「かなり強気のやれる前提」で特集等を組んできた(と思う)ので、今後どうするか見ものです。

いや本当にずいぶん強気だなあと思っていたのですが、オリンピック開催の恩恵を大きく受ける業界の一つがテレビ業界ですから、やれる方向に持っていきたかったのでしょう。

やってほしい界隈からのなんか圧力的なやつもあるのかもしれません。

中止となると今後、ますますテレビ離れが加速しそうです。

 

東日本大地震の直後

自粛ムードの中で公演を打つにあたり、多くの演劇関係者が「日本を励ましたい」的なことを言っていたのを、僕は「詭弁だ」と思っていました。

そう思いながらたぶん僕も言っていましたが。

 

有名アーティストやオリンピック選手とは格が違います。

演劇が励ませる範囲は客席の最後列が限界です。

そういう媒体だからこそ表現できないものがあり、僕はそこが好きなのですが、演劇をやることで「日本」を励ませるとはとても思えません。

 

※そのあたりの感情は過去作にも書いているので未読の方は是非。

kakuyomu.jp

 

個人的にはスポーツは全然見ませんし、競技場に行くより本などを読んでいたい派ですが、アスリートの活躍は偶然テレビで見かける程度でも「確かに励まされる」と感じます。

トップレベルで勝負している姿は純粋にかっこいいです。

このコロナ禍でもアスリートが「日本を励ましたい」と言うなら、詭弁だとは思いません。

彼らには確かにその力があり、投じられた予算や敗退した他の選手のことを思えば、その使命があるとすら言えます。

 

JOCやテレビがやけに強気だったのと、政府さんの諸々の後手後手も相まって、

「ほらできねえだろザマーミロ」

「こちとら生活行き詰まってんのに遊んでんじゃねえよ」

的な空気を感じるのですが(藁人形論法かもしれません)、少なくとも選手たちは自分が楽しむためだけにオリンピックを待っているのではなく、本気で日本を励まそうと思っているのではないでしょうか。

 

だからやるべき、と言いたいわけではなく、無理なものは無理なわけですが、オリンピックはいつか必ず開催しないといけません。

というのは、

世界平和に必要だから

です。

 

決して大袈裟でなく、1896年にピエール・ド・クーベルタン男爵がオリンピックを復興させていなかったら、国際的な紛争はもっと多かっただろうと思います。

www.joc.or.jp

公式が謳う通り、「スポーツを通した友情」もあるでしょうし、国をあげた攻撃性の消化、いわば戦争の代替物的な面もあるはずです。

日清・日露戦争の頃の「日本軍頑張れ!」と、オリンピックにおける「日本頑張れ!」は、同じではないかもしれませんがまったくの別物でもないでしょう。

 

次にオリンピックをやれるのはいつなのか?

世論がどんなにネガティブな状況でも、委員会はポジティブに見極めようとしなければなりません。

待っていれば誰かが決めてくれるわけではないからです。

オリンピックが別に楽しみでない人(何なら僕もです)にとっては「完全に収束してから考えれば?」という感じかもしれませんが、それでは遅過ぎるはずです。

※なお、森喜朗会長のゴリ押しは何ら支持しません。